はじめに――「重要な産業」と「資金が届きにくい産業」は同じではない
フランスで、個人が防衛関連企業などに投資できる「Bpifrance Défense」というファンドが始まりました。
このファンドは、フランスの政府系投資機関Bpifranceが2025年10月に開始したもので、個人は500ユーロから参加できます。2026年9月末時点では、1万人を超える個人投資家から1億5,000万ユーロを集めています。
注目したいのは、単に「防衛産業に個人のお金を投資する」ということではありません。
この事例から考えたいのは、
重要な産業に、本当に必要な資金が届いているのか。
そして、
もし資金が届きにくい分野があるなら、その理由は何なのか。
という問題です。
日本では、半導体、AI、エネルギーなどに対して、すでに政府による大規模な政策支援が行われています。
一方、防衛や医薬品・創薬のように、社会的な重要性が高いにもかかわらず、長期的・高リスクの資金を安定して確保することに難しさを抱える分野もあります。
したがって、「重要産業だからすべて同じ方法で資金を集める」という考え方ではなく、産業ごとの資金事情を見極めることが重要なのではないでしょうか。
1.フランスの防衛ファンドが示したもの
個人の資金を重要産業につなぐ
Bpifrance Défenseの特徴は、個人投資家がファンドを通じて、防衛や技術主権に関係する企業へ投資できることです。
対象には、スタートアップ、中小企業、中堅企業などが含まれています。
つまり、
個人の資金
↓
ファンド
↓
重要産業の企業
という新しい資金の流れを作っています。
ただし、ここで注意が必要です。
このファンドは投資商品であり、元本保証ではありません。2026年9月末のBpifranceの説明でも、元本が保証されず、投資額を失う可能性や流動性リスクがあることが明記されています。
したがって、
「政府系機関が運営しているから安全」
という話ではありません。
フランスの事例から参考にしたいのは、投資の安全性ではなく、
個人の資金を、長期的な産業投資につなぐ仕組みを作ったこと
そのものです。
2.日本では、すべての産業を同じように考える必要はない
ここで、日本の産業政策を見てみます。
例えば半導体・AIについては、政府が2030年度までの7年間に10兆円以上の公的支援を行い、それによって10年間で50兆円を超える官民投資を促す枠組みを進めています。
GXについても、政府による先行支援を通じて民間投資を引き出す政策が進められています。
つまり、これらの分野では、
「重要なのに、誰も資金を出していない」
という状況ではありません。
もちろん、必要とされる投資額は非常に大きく、今後も資金調達が重要であることに変わりはありません。
しかし、政府が政策的に資金を投入し、企業や民間資金を呼び込む仕組みはすでに存在しています。
そこで、国民参加型の産業ファンドを考えるときには、対象をむやみに広げない方がよいでしょう。
重要なのは、
「重要産業かどうか」ではなく、「どの産業に、どの種類の資金が届きにくいのか」
を見ることです。
3.注目したい「防衛」という資金問題
防衛産業は、その典型的な候補の一つです。
防衛装備品には、高度な技術や品質が求められます。
さらに、多品種少量生産となるケースが多く、装備品の運用期間が長いため、企業には長期にわたって生産体制を維持することが求められます。
一方、顧客が基本的に防衛省・自衛隊に限られる場合、市場規模や生産数量が限定され、企業にとって投資回収の機会が限られるという問題があります。
防衛省の2026年版防衛白書でも、こうした構造を課題として説明しています。
また、防衛事業では高度な要求性能や情報保全への対応に多くの経営資源が必要となる一方、収益性が低い傾向にあったことも政府資料で示されています。
ここで重要なのは、
「防衛産業にはお金がない」
と単純に断定することではありません。
より正確には、
「防衛産業には、長期的な投資を回収しにくい構造があり、企業が設備投資や新規参入を判断するうえで資金面・収益面の難しさが存在する」
と考えるべきでしょう。
4.もう一つ考えたい「医薬品・創薬」
防衛と並んで注目したいのが、医薬品・創薬です。
新薬の研究開発には長い期間が必要です。
しかも、研究を続けたからといって、必ず新薬として実用化できるわけではありません。
つまり創薬には、
長期性
と
高い不確実性
があります。
そのため、研究の初期段階から実用化まで、切れ目なく資金をつなぐことが重要になります。
厚生労働省も、日本では創薬スタートアップの数や規模が欧米に比べて小さく、資金面、人材面、開発能力面などに課題があると説明しています。
ここでも、
「医薬品業界に資金が全くない」
という話ではありません。
問題は、
将来性のある研究やスタートアップに、必要な時期に、必要な規模の長期資金をどうつなぐのか
ということです。
この意味で、防衛と創薬には共通する資金問題があります。
5.「資金不足」ではなく「資金の空白」を見る
ここで、表現を一つ変える必要があります。
「資金不足」という言葉だけでは、
「政府がもっとお金を出せば解決する」
という話になりがちです。
しかし、実際にはそう単純ではありません。
例えば、
- 研究段階には資金があるが、事業化段階で不足する
- 大企業には資金があるが、スタートアップに届きにくい
- 短期資金はあるが、長期資金が不足する
- 公的支援はあるが、民間資金が続かない
- 投資したくても、投資回収までの期間が長すぎる
など、さまざまな「空白」が考えられます。
したがって、政策として最初に行うべきなのは、
「どこに、どのような資金の空白があるのか」を調べること
ではないでしょうか。
これが今回の提案の出発点です。
6.ファンドを作ることより、「資金の空白」を見えるようにする
ここは、フランスの事例から日本が考えるうえで特に重要なところです。
仮に日本で、防衛や創薬を対象とした新しいファンドを作ったとしても、それだけで問題が解決するわけではありません。
逆に、ファンドを作らなかったとしても、
「なぜ、この産業には長期資金が流れにくいのか」
という問題を明確にできれば、政策上の意味があります。
問題が見えるようになれば、
- 政策金融
- 長期契約
- 税制
- 補助制度
- 政府保証
- 機関投資家の参加
- 民間ベンチャーキャピタルの育成
- 研究から事業化までの資金支援
など、さまざまな対策を比較できるからです。
つまり、
ファンドは目的ではありません。
ファンドは、あくまで資金を流すための選択肢の一つです。
本当に重要なのは、
資金が届きにくい産業と、その理由を社会に見える形にすること
なのです。
7.では、国民の家計資金にはどんな役割があるのか
ここで初めて、国民の家計資金について考える意味が出てきます。
国民参加型ファンドという言葉から、
「国民のお金で国の産業を支える」
という印象を持つかもしれません。
しかし、それは今回の考え方とは違います。
政府による公的資金は重要です。
年金基金や保険会社などの機関投資家も重要です。
銀行などの金融機関も必要です。
企業自身の自己資金や借入金も欠かせません。
したがって、
公的資金
+機関投資家
+金融機関
+企業資金
+希望する個人の資金
という複数の資金源を組み合わせる考え方になります。
家計資金は、あくまでその一部です。
8.公的資金や機関投資家を過小評価してはいけない
この点は、特に明確にしておく必要があります。
国民参加型ファンドを考えるからといって、公的資金の役割を小さくするわけではありません。
むしろ、研究開発の初期段階や大規模な設備投資などでは、政府による政策支援が重要になる場合があります。
また、機関投資家は個人投資家とは異なる規模の資金を長期的に運用できます。
そのため、
「家計資金で政府の資金を置き換える」
という発想ではありません。
そうではなく、
「既存の公的資金や機関投資家の資金に、もう一つの資金ルートを加えられないか」
という発想です。
これなら、GXやAI・半導体などで進められている官民投資の考え方とも矛盾しません。
9.賃金上昇が家計資金の可能性を広げるのか
では、なぜ今後、家計資金に注目する必要があるのでしょうか。
その一つの理由が、賃金です。
日本では名目賃金の上昇が続いています。
しかし、物価上昇を考慮すると、家計の実質的な購買力が同じように改善しているとは限りません。
そのため、
「賃金が上がったから、国民には投資する余裕がある」
と考えるのは早すぎます。
一方で、今後もし、
賃金上昇率が物価上昇率を上回る
状態が続けば、家計の実質所得が改善する可能性があります。
そのとき初めて、生活費や将来への備えを確保したうえで、余裕資金を投資に回せる家庭が増える可能性があります。
これは、国民参加型産業ファンドを考えるうえで、一つの将来的な条件になるでしょう。
10.家計から産業への新しい資金循環
仮に将来、家計の投資余力が高まったとします。
その場合、
賃金上昇
↓
実質所得の改善
↓
貯蓄・投資余力の増加
↓
個人による長期投資
↓
企業の研究開発・設備投資
↓
産業の成長
という資金循環が生まれる可能性があります。
ただし、これは将来の可能性であって、現在すでに成立している循環ではありません。
また、賃金が上がっても、物価、税負担、社会保険料、住宅費などが上昇すれば、家計の余裕は増えない可能性があります。
したがって、家計資金を産業政策に活用する場合も、
生活を守ることが最優先
という原則は変わりません。
そのうえで余裕資金がある人が、自分の判断で参加できる仕組みを考えることになります。
11.「国民参加型ファンド」は防衛・創薬に限定すべきなのか
ここまで読むと、
「では、半導体やAI、エネルギーは必要ないのか」
という疑問が出てきます。
もちろん、そういう意味ではありません。
これらの分野も日本にとって重要です。
ただし、すでに政府が大規模な政策支援を行っている分野については、
「資金がないから個人資金を投入する」
という説明より、
「既存の公的資金や民間資金を補完する手段として、個人資金をどう位置づけるか」
と考える方が適切でしょう。
一方、防衛や創薬については、長期・高リスクの投資をどのように支えるかという別の問題があります。
だからこそ、今回の記事では、防衛・創薬を中心に考えています。
これは「防衛・創薬だけが重要」という意味ではありません。
資金調達の仕組みに特徴的な課題がある分野を優先して考える
ということです。
12.実際にファンドを作る場合に必要な条件
仮に将来、日本でこのような仕組みを検討するとしたら、単に資金を集めればよいわけではありません。
まず、投資先の選定基準を明確にする必要があります。
次に、政府の政策目的と投資家の利益を混同しない仕組みが必要です。
さらに、
- 元本割れの可能性
- 手数料
- 換金しにくい期間
- 投資先のリスク
- 運用実績
- 投資先の選定方法
などを分かりやすく公開する必要があります。
特に、
「政府が関係しているから元本が安全」
という誤解を生まないことが重要です。
フランスのBpifrance Défenseについても、元本保証がなく、一定期間の換金制限があることが明示されています。
日本で同様の仕組みを考える場合にも、投資家保護が大前提になるでしょう。
13.フランスの事例を日本の政策にどうつなげるか
フランスの制度をそのまま日本に導入する必要はありません。
日本には、日本独自の産業構造と金融制度があります。
重要なのは、フランスの事例をきっかけとして、
「個人資金を重要産業につなぐ方法は他にもあるのではないか」
と考えることです。
そして日本では、まず産業ごとの資金事情を調べる。
半導体・AI・GXについては、既存の政策支援や官民投資の仕組みを確認する。
そのうえで、防衛や創薬について、
どの段階で、どの種類の資金が不足しやすいのか
を具体的に調べる。
そして、その問題に対して、
「政策金融なのか」
「機関投資家なのか」
「民間VCなのか」
「企業との共同投資なのか」
「それとも個人参加型ファンドなのか」
を比較する。
この順番で考えることが重要なのではないでしょうか。
14.政策として「目に入りやすくする」ことにも意味がある
ここまで考えると、今回のテーマのもう一つの意味が見えてきます。
それは、資金問題を社会の目に入りやすくすることです。
防衛や創薬については、一般の生活者からすると、自分の日常生活とは少し距離のある産業に感じられるかもしれません。
しかし、実際にはそこに、
- 研究者
- 技術者
- 中小企業
- スタートアップ
- 地方の製造業
- 雇用
- サプライチェーン
など、多くの人や企業が関係しています。
もし、
「この分野では長期資金が不足しやすい」
という事実が広く認識されれば、政府だけでなく、企業、金融機関、機関投資家、個人投資家も問題を考えるきっかけになります。
したがって、仮に最終的にファンドを作らなかったとしても、
「資金の空白を見える問題にする」
ことには政策的な意味があります。
これは今回の議論で最も重要なポイントの一つです。
15.60代から考える「自分のお金と社会」
このテーマは、産業政策だけの話でもありません。
私たち個人にとっても、
「自分のお金が、社会のどこに流れているのか」
を考えるきっかけになります。
もちろん、すべての人が投資をする必要はありません。
特に60代以降では、生活資金や将来の生活に必要なお金を確保することが先です。
そのうえで余裕資金がある場合には、
「どのような企業に投資するのか」
「その企業はどのような産業を支えているのか」
と考えてみることはできます。
投資を単に「値上がりするかどうか」だけで見るのではなく、
「自分のお金が、社会のどこで働くのか」
という視点を持つことも、これからの金融との付き合い方の一つでしょう。
「60代から考える自分のお金と社会」というブログのテーマから見ても、この問題は身近なテーマとして考えることができます。
まとめ――まず「資金の空白」を見つける
フランスの防衛ファンドから考えたいのは、日本でも同じ制度を作るべきだということではありません。
もっと重要なのは、
「日本のどの産業に、どのような資金が届きにくいのか」
を明らかにすることです。
半導体、AI、GXなどには、すでに政府による大規模な支援策があります。
一方、防衛や創薬では、長期・高リスクの研究開発や設備投資を支える資金を、どのように安定して確保するかという課題があります。
そこで、
公的資金
+機関投資家
+金融機関
+企業資金
+希望する個人の資金
という複数の資金源を組み合わせる可能性を考えます。
家計資金は、公的資金の代わりではありません。
また、国民に投資を求めるものでもありません。
あくまで、生活を守ったうえで、希望する人が参加できる追加的な資金ルートです。
そして、最も重要なのはファンドを作ることそのものではありません。
資金が届きにくい産業と、その理由を「見える問題」にすること。
それによって、政策金融、税制、政府保証、機関投資家、民間投資、企業間連携など、さまざまな解決策を比較できるようになります。
将来、賃金上昇が物価上昇を上回り、家計の実質的な所得が改善すれば、余裕資金の一部が長期投資に向かう可能性もあります。
そのとき家計資金は、国の産業を支える中心的な資金ではなくても、既存の公的資金や機関投資家の資金を補完する力になり得るでしょう。
フランスの防衛ファンドは、その可能性を考える一つのきっかけです。
そして私たち個人にとっても、
「自分のお金を守ること」と「自分のお金が社会のどこへ向かうのかを考えること」
は、必ずしも別の問題ではありません。
まずは、どこに資金の空白があるのか。
そこから考えることが、日本の産業政策と家計のお金をつなぐ第一歩なのではないでしょうか。


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